日本共産党 清水ただし

活動報告

日本を滅ぼす!カジノ法案は阻止しましょう

[活動報告]2016/11/11 更新

11月10日、日本弁護士連合会主催の院内学習会「カジノ解禁について考える」が開かれました。

これまでカジノ解禁に慎重な姿勢を見せていた公明党が「審議そのものには反対しない」としていることで、今国会、内閣委員会で審議に入る可能性が強まっています。

消費者団体や法律家など全国から80名が参加して、社会に深刻な問題をもたらすカジノ法案を阻止しようと決意を固めあいました。

「カジノ解禁が日本を滅ぼす」の著者、若宮健さんとも再会できました。

国による障がい児学級の設置基準の策定を求めます

[活動報告]2016/11/10 更新

全国の障害児学校で教室が不足しています。音楽室や木工室を普通教室にしたり、ひとつの教室をカーテンで仕切るなどしなくてはならない状況です。大阪の障害児学校もいずれも300人を超えるマンモス校です。

これは、国による障害児学校の設置基準が定められていないことが原因なのです。看護師の複数配置、スクールバスの拡充なども必要です。みなさんと共に障害児学校の設置基準策定を求めてまいります。

 

やりがいをもちながらも続けていけない現実を打開!夜勤交代制労働の改善を!

[活動報告]2016/11/08 更新

病院や介護現場での夜間労働は、注意が散漫になる安全リスクや、健康を損なうリスクを誘発します。福祉の仕事にやりがいをもちながらも、人員不足による過重労働や、暮らしていけない低賃金など、続けていくことのできない現実があるのです。

働き続けることのできる職場を実現することは、患者さんや利用者さんの利益にもつながります。国民的な関心を高めて運動をさらに広げていきましょう。

11月8日、国会前にて、夜勤交代制労働の改善をもとめる医労連の集会でご挨拶させていただきました。

公式な謝罪と賠償を・・アジアの元慰安婦の方々の声に胸が詰まりました

[活動報告]2016/11/08 更新

11月7日(月)、戦争中、日本軍の「慰安婦」として被害を受けた当事者や支援者のみなさんとの懇談会が国会内で開かれ、出席させていただきました。

インドネシアのチンダ・レンゲさん(84歳)とフィリピンのエスタリータ・バスバーニョ・ディさん(85歳)は、それぞれ10代のときに日本軍に拉致され強姦されました。そして慰安婦として戦争が終わるまで自由を奪われたというのです。

「日本兵に犯された汚れた娘とのレッテルを貼られて苦しんだ」「戦争が終わってからは仕事もできず、今日までお菓子をつくって生計を立ててきました。でもそれも限界です」というお話には胸が詰まりました。

韓国の李容洙さん(87歳)は、「私が強制連行の生き証人です」と述べられ、日本政府に対して公式な謝罪と再発防止を要求。決してお金のためではなく、名誉と尊厳の回復を求めて声を上げてきたと、熱く思いを語られました。さらに慰安婦の願いに正面から応えようとしない安倍総理に対して「交代させてもらいたい」とも。当事者が置き去りにされた日韓合意は受け入れられませんと述べられました。

私からは、日本軍慰安婦として被害を受けたみなさんに心からのお見舞いと日本までお越しくださったことへのお礼を申し上げました。そして、この間アイドルグループがナチスの軍服を想起させる衣装をまとい人権団体から抗議を受けた問題に触れ、「決して彼女たち自身が戦争に対して無反省なのではありません。若い世代に慰安婦問題を含む戦争の歴史的事実について、教育にもいかしていくことがとても大切だと考えています」と述べ、侵略戦争を美化する風潮をつくりだし、再び戦争できる国にしようとしている安倍政権を批判しました。

さらに、日本共産党が命がけで侵略戦争と植民地支配に反対してきた歴史を紹介し、「慰安婦問題は韓国だけではなくアジア全体で起こった被害であり、その全面的な解決が必要であることは当然です」と、これからも力を尽くす決意を述べました。

高齢化する元慰安婦やそれを支えるみなさんの合言葉は「一日も早く」です。元慰安婦のみなさん自身が納得のできる解決まで、私もいっそう歴史を学び、被害者の声を受け止め、発信していきたいと思います。

そろそろ紅葉の季節、京都市左京区での青空まつり

[活動報告]2016/11/05 更新

紅葉し始めた自然に囲まれた京都市左京区での青空まつり。ちさか拓晃衆議院京都2区候補、井上哲士参議院議員、地元選出議員のみなさんと揃い踏みです。

政治プログラムに出演された京都大学大学院教授の髙山佳奈子さんからは「清水さんのような方も出てきて共産党のイメージも変わりましたね」との感想も。

私からもステージから国会情勢報告をさせていただきました。

京都のみなさんと親しく交流できてとても嬉しい一日でした。