活動報告

【3月22日】清水忠史の今日もおおきに!~法要で法話の巻~

[活動報告]2015/03/23 更新

お彼岸です。私がかつて飲食店で働いていた時代にお世話になった方がお寺のご住職をされています。お彼岸の法要に来てぜひ法話をとの、恐れ多いお話をいただきました。これまでにも二度、お伺いをさせていただいているのですが(そのうち一度はバナナの叩き売り)、国会議員になってからは初めてです。

今回、ご住職から頂いたテーマは、集団的自衛権や憲法九条の大切さについて。「今は平和が危ない。仏様の教えにもふれながら、そこをあなたらしく話してもらえれば」と。

私は、お釈迦様の教えの中に五戒というものがあり、その中の不妄語(ふもうご・嘘をついてはいけない)と不殺生(ふせっしょう・生き物を殺してはいけない)について触れ、日本を守るためだと嘘を言い、戦争という人殺しに自衛隊を加担させようとしている、それが集団的自衛権の行使の本質だと切り出しました。

合わせて、なぜ戦争放棄、戦力不保持の憲法九条が生まれたのかについて説明。日本軍国主義の犯した侵略戦争と植民地支配によって、アジアで2千万人、日本国民310万人もの尊い命が奪われたこと、世界で唯一、核戦争を経験し、沖縄戦では自決を命じられたものも含めて、県民の四人に一人が亡くなったこと。これからのことに鑑みて、二度と戦争はしないと誓ったのであり、これからも憲法九条を基礎にした、平和外交による安全保障体制の構築が必要であるということをお話させていただきました。

およそ法話と呼べるような立派な話ではありませんでしたが、集団的自衛権が日本を守るためのものではないということ、平和憲法を変えてはならないことは宗派を問わず、私たちが大切にしなくてはならないのではないか、という熱意は伝わったのではないかと思います。

法要が終わったあと、精進料理をいただきました。食事五観文(しょくじごかんもん)という教えの中に、「己が徳行の全欠をはかつて供に応ず」というものがあります。これは、自分自身の徳行の足らざるに、この食物を頂くことを過分に思いますという謙虚な姿勢が表されています。感謝の気持ちが必要だとあらためて実感した次第です。

今の平和があるのは、悲惨な戦争を経験し、そこから立ち上がり、平和憲法のもとに戦争を放棄し続けてきた先人たちのご苦労のおかげであることを今の政治家たちは決して忘れてはいけません。謙虚な姿勢を投げ捨て、過去に学ばないものは再び過ちを犯します。

戦争立法である安保法制の具体化を許さず、この国会でさらに奮闘する決意です。